2022.05.06
理念や街への想いから導かれる戦略 | 江﨑グループ江﨑和明社長インタビュー
静岡みんなの広報編集部は、江崎グループの江﨑和明社長にARTIE(アルティエ)をオープンした経緯やまちづくりに対する考えを伺いました。
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小さな街の挑戦が、世界を動かすかもしれない | 江﨑グループ社長インタビュー
コロナで既存事業の売上高97%減。迫られる決断。
ARTIE(アルティエ)の最終段階でコロナがやってきた。静活の中心事業である映画館事業も閉鎖で売上高97%減の月もあった。あらゆる企業がコロナのダメージを受けて、設備投資を諦めてどれだけ節約していくかって時分に、ARTIEをやるかやらないかの決断を迫られた。結局、計画通りにやることにしたんだけど。
理由は三つある。
一つ目は、前のボウリング場をコロナが流行り始める2カ月前に解体しちゃっていたから。もしコロナが半年先にきてたら壊せなかったよね。しばらく様子を見よう、となる。ただもう、壊しちゃったからには次を建てなければ利益が出ない。
二つめ目は、この業界の特徴。事業者に施設を見てもらって初めて「これだけのポテンシャルがありますよ。一緒にお仕事しませんか?」とコンテンツを引き込める。つまり見せられる建物がないと何も始まらない。施設型のビジネスはつくってナンボというわけ。
三つ目は、もっとも重大な理由。740坪もある土地を空き地にして何年も放っておいたら、きっと七間町は死んじゃうよ。やっぱりこれだけは許されない。一刻も早く建てなきゃ、となったね。
こうした理由が重なってやっとGOサインが出せた。いずれにせよ建て直しの二年はコロナだったんだよ。どうせ建設中は利益が出ないんだから、むしろラッキーじゃなかったかって今は思ってる。
「今さらボウリングですか?」という反対の声
「さあ、建てるぞ!」ってなった時にも反対の声はあった。「今さらボウリングですか?」ってね。元々、ボウリング場を経営してたゆえに、ボウリング場のしんどさや人気の凋落を知ってるし。ラウンドワンみたいな施設が郊外に作られているしね。「飲食なんてどんどん閉店しているじゃないですか」、「ホログラムシアターがどれだけ集客できるかわからない」、「ゲームセンターもスマホゲームに押されているじゃないですか」とかね。まあ、それも施設が出来上がってみなきゃわからないよ。大変だったのは融資のための金融機関の説得だったけど、むしろ彼らの指摘があったおかげでプランの見直しができた部分もある。
なんでそんな決断ができたかと言えば、過去の成功体験がある。昔、七間町に「オリオン座」という映画館が、今の静岡市水道局庁舎の場所にあってね。そのオリオン座の建物が老朽化したり客足が遠のいたりして、いよいよダメだって時に、新静岡セノバの再開発の計画が持ち上がった。当時の静岡鉄道の社長であり、静岡商工会議所の会頭の酒井さんも地域経済への想いが強い方でね、ご縁があって我が社も出店させてもらったんだ。
同じタイミングで私が会社の代表になったんだけど、当時は古い劇場を抱えた赤字会社で、新しいシネコンをつくる資金がなかった。そこで元オリオン座のあった土地を売ってできたのが、新静岡セノバのシネシティ・ザートなんだよ。
文化の発信地を継承したんだね。結果として、財務体質を強化できた。おかげで、ARTIEの決断ができたというのはある。
このARTIEの土地を100年前から自社で持っていたのも大きい。なぜなら短期的な賃料負担を考えずに勝負ができる。とはいっても、そこに行き着くまでの決断や事業フレームづくりがね、普通ではないプロジェクトだった。
何度も言うけど、儲けるだけなら高層マンションや駐車場にすればいいから。そうしない理由としては、先ほども言った理念とか街への想いとかがある。ここから導かれる戦略っていうのは長期的な目で見た時、意外と正しいんじゃないかな。
エンターテイメントを招致できる場所にしたい
施設正面、公園のような空間も、短期的な意味でいえば、「何やってるの?」って話になる。こうやって内装や機材やコンテンツをすごいこだわって、めちゃくちゃ経費かけてつくっているのに、正面だけは四角い箱にひさしをつけているだけだよね。まだまだ空間が余っている。普通だったらテナントを詰め込んじゃうよ。
そこをぐっと堪えて、「エンターテイメントを招致できる場所にしましょう」となったからアートガーデンなんだよ。屋根のある、全天候型のイベントスペースになっている。これもどんどん使ってもらいたい
そんな構想でつくってあって、今でこそ周囲も「いいですね」って言ってくれるけど、できる前は一言目には「本当ですか?」って言われたよ。二言目には「できなかったらどうするんですか?」ってね。
経営者の役割と組織づくり
プロジェクトの最終決定については私がしていて、企画は若手、制作はプロ。静岡で何かやろうとすると中途半端なものがありがちなのはプロを使わないからだよね。私はただ「デザインもコンセプトも世界レベルにしてくれ」って願っていた。中途半端なものをつくってお客様に来てもらえなかったら、結局困るのは社員だから。
「できたらすごいな」って思ったことを再現してくれるプロを外から探してきた。プロと一緒に組んで現場を回していくのは社員だから、プロから技術を吸収して、これからもどんどんバージョンアップしていく予定。
例えば、入口はちょっとわかりにくいでしょ。渋谷とか代官山にあるお洒落な店はそうだよね。わかるやつが来ればいいんだよって。さすがにそこは静岡だから看板を外すまではしなかったけど。「静岡らしくないもの」にはなっていると思う。そこまでこだわらないと、若い人たちは盛り上がらないでしょ。
普通ボウリングって後ろから見るよね。それが横から見えるようになっている。横からレーンを見られるボウリング場は渋谷にひとつあるくらいだね。ただそこも、レストランの見世物として数レーン置いてあるだけ。この距離感で、真剣なボウラーをスクリーンセーバーみたいに楽しめるのは贅沢で飽きがこないでしょ。
以前ドバイに行ったときに、世界中のお金持ちが集まる街にレストランがあってさ、レストランのすぐ向こう側にスキー場があったんだよ。ターバンを巻いた人がスキーでこちらに向かって滑ってきてね。外は気温50度という中に、風景として見せるためにスキー場をつくってあったの。豪華な話だよね(笑)
こういうランドスケープ的なテクニックは、正面のガーデンスペースに活かしてある。ステージから街を見下ろすと、すごく幸せな風景になるんだよ。子どもたちの歓声や街の息遣いが感じられて、それを景色にお茶を飲むことができる。あそこにレジャーシートを敷いて寝そべってもいいよね。使い方は自由。これもプロの演出。そういうチャレンジ。
江﨑社長の「まちづくり」を支える思考と価値観
まちづくりへの意識は30代から強かったね。「個人の情熱」といってもいいかな。ただ間違えちゃいけないのは、熱いだけじゃダメだってこと。「考え方と数字」って言い方をするね。理念や情熱を持ちつつ、とことんシビアな数字の裏付けが必要。
中庸をとるとかじゃなくてね。経営者として何が大事かっていうと両極端を合わせもつこと。とことん情け深くて、とことん冷酷。間をとっていない。それも矛盾させずに。普通は朝やっていることと夜やっていることが正反対だったら怒られちゃうけど、やる人がやると「そうかもね」って納得できる。
ARTIEも相当細かい数字を計算してつくってあるし、そうでなければ周りは許してくれなかったよ。新規事業を始める時や大きな経営決断をしていく時には、非常にシンプルに自分の情熱が沸き立つか、周りが巻き込めるかが物を言う。根っこには熱い理想、理念がある。一方で、今度は冷静に振り返って「本当にそれはできるのか」と悲観的なところを見ていく。
新規事業を始める考え方
京セラの創設者である稲盛和夫さんの言葉、「楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する」を私は信じている。このプロセスをとらないと事業っていうのは成功しないんだよ。すべて楽観的だと潰れちゃう。かといって、出だしで悲観だと何も始まらない。「いやあ、面白いじゃんこの計画!」って楽観からスタートして、「この会社を大きくしたい!」ってポジティブに構想しなければいけない。そうやってドカンと構想して、次に計画段階に入ったら悲観的に悩む。つまり数字。「とはいえ、失敗したらどうする?」と。
そうやって楽観と悲観を交互に使い分けて、やるぞ! となったらもう失敗はない。絶対成功する。社員にも「心配するな。やろう!」と話してついてきてもらう。とは言いつつも、現場は現場で心配するのよ。一日お客様が入らないだけで不安になる。お客様が少なかったら看板を出すとか掃除をするとか、「今日明日できる改善をしなさい」と。「今日明日の心配をするんじゃない」と「今日明日の改善をしなさい」って矛盾しているよね。でも、事業っていうのはそういうことなんだよ。
事業のフェーズによって変える、プロジェクトチーム
メンバーチェンジするのもコツ。事業を立ち上げようって時には、お調子者を集めて、「やりましょう!」「そうだよな!」「いいよね!」ってすごく盛り上がって、「よしやるぞ!」となったら、冷ややかな人にメンバーチェンジ。批判役をさせる。冷静な人に検証をやらせてみるの。そうすると、めちゃくちゃネガティブなことを言ってくるよね。「ここに問題ありますよ」とか「無理じゃないですか?」って。そしたら「これはこうしたらできるな」って慎重に考えてネガティブな要素を潰していく。で、プロジェクトが始動したら、気合の入った奴を集めて盛り上げていく。こんなふうに、フェーズによってチームを変えることも大事だね。
なぜ経営理念が大切なのか
理念が築かれていったのは、京セラの稲盛さんの影響が大きかった。
きっかけには亡き親父との世代間闘争があったわけ。父の下で働いていた時は、「現場の苦労も知らないで!」と憤ってたよ。何かやろうとすると上に潰されて、すごくしんどかった。「本当にこの会社を辞めてしまおうか」と悩んでいたら、静岡銀行の現会長の中西さんに、「悩んでるなら立派な経営者の勉強会に行きなさい」と、誘われて行ったのが稲盛さんとの出会い。そこで気づいたのが経営理念の大切さだった。
登山でたとえるならば、八幡山(近所の山)と富士山、もっといえばエベレストを登るとでは、登山用具やら準備が全然違うよね。八幡山だったら登山靴くらいでよくても、富士山ならちょっとした装備が必要で、エベレストを登るんだったら命がけ。私は登らないけど、エベレスト登る人を「お前は間違ってる」とは言えないでしょ。ある人が職業も捨ててまで山を登ることに懸けてる。それに対して近所の山を登るだけの私たちがとやかく言えるものかと。
違うんだよね。どの山を目指すかを明らかにしてから、登り方とか日常の送り方を指導しないと卑怯だよね。日常の過ごし方や生き様まで見下したりしてさ。「お前は意識が低いな」って、言うのは間違っている。
会社でも、同じ立場の同僚がやたら頑張っているとして、それを見た上司が別の社員に「あいつが頑張ってるんだからお前も頑張れよ」って比較するのは的外れ。逆に頑張っている社員に対して「余計なことするな」って言うのもおかしい。
大事なのは、その時その場所でその彼、彼女が何を目指しているのかを共有すること。「いずれ独立するつもりだからこの働き方だったんだね」とか、「私は独立まではいかないけど、これをやりたいんだよね。だから、こういう働き方をしているんだ」って話になる。
そんなことを稲盛さんがおっしゃっていた。そうして振り返ってみると、父の目指してきたものを自分は知らなかった。まさにね、父は朝言ったことと夜言ったことが矛盾してて、「とことんやれ!」と言われたから一生懸命にやったら「いい加減にしとけ!」と怒られたこともあった。わけがわからなくて腹が立ったね(笑)
だから、いい機会だと思って父に聞いたの。「どこを目指してるの?」と。そしたら何やらガサゴソ探して、「じつは俺、こういうの持ってるんだよね」って出してきたのが、これ。
我が社の理念が書かれた物だったの。「もっと早く共有してくれよ!」と呆れて笑ったよね。で、それを元に父と「これはこういう意味かな?」「ここを目指していたわけ?」と一項目ずつ確認していったのが「エザキのモットー」の解説パートなの。
理念の共有もなく「地域のために」を掲げても、「綺麗事言っていないで給料上げてくださいよ」と社員はなるよね。だから最初に理念を共有して、「地域のために個人で保証してでもやってみようかな」とか「モットーに〝社員の生活向上〟と書いてあるから、自分は安い車に乗って代わりに社員の給料を増やしてやろう」みたいに、その理念の通りにやっていくと「社長の言っていたことは本当なんだ!」と社員に納得してもらえるわけ。
目指している山の話を抜きにして社長があれこれやっても、社員からは「休みを増やせ」や「給料上げろ」が出てきてしまう。いずれ不平不満が重なって会社がうまくいかなくなる。理念をはっきりさせて、それに従った行動をとることが最終的には社員の求心力を高めて、新しい事業を押し進めるエネルギーに変わっていくんだよ。
だからARTIEが建ったことで、「情報文化の担い手として地域社会に奉仕する」という理念が社員に伝わるんじゃないかな。
親子の対立で現場がうまく回らなかったころ、考えてみれば自分自身も考え方を伝えていなかった。どこを目指しているのか話していなかった。何をしているかばっかり見ていたし、一方的に話していた。共有してなかったね。それじゃ横を見ちゃうのは当然だよ。理念を共有して山の上を見なきゃ。
頂上の見えない登山って最悪じゃない? ゴールが見えないマラソンとか、嫌じゃないの。もちろん、そこは悲観的な数字の裏付けはあるけれど、予算云々の前に「僕らはこういう会社にしよう!」「私はこういうふうに生きたい!」っていう理想があってこそ目標が設定できる。で、実際に事業を始めたら、目標の通りに進んでいくというところに経営の根っこがあるんじゃないかな。
経営理念は浸透してこそ意味がある。
地方の同業他社で理念を明文化してある会社はそう多くないよ。もっとも、父の時代「いい理念」なのに共有しきれなかった。今は解説文を書いた手帳型にして、ミーティングのたびに必ず社員に読んでもらっているけど。
理念の浸透がよくわかるのは、末端の社員が言えるかどうかだよね。社長だけじゃないよ。「我々はこういう活動をするんだ」って意志を言葉に出して言う。言葉って大事だよなって思う。理念に賛同したメンバーのパワーも感じやすい。
父との話し合いがあった後ね、論語を読み直していたらこんなことが書いてあったんだ。
つまり、「父が生きている間は志(理念)を見るようにしなさい。父が亡くなった後は行い(言動)を見なさい」と。上の世代がいる時はつい「行い」を見てしまうよね。でも、じつは逆だったわけ。そんなことが2000年前の論語に書いてあったんだよ。結局、原点は理念だったんだね。会社も同じで、理念を見ないで行いばかり見ちゃうから不平不満ばかりが溜まっちゃうのかもね。
江崎グループが目指す未来
まず拠点を増やしたいと思っている。拠点があって、初めてお客様を迎えられるビジネスだから。集客施設っていうのはそういうものだよね。一拠点ずつ利益を高めて、拠点を増やしていきたい。だけど、用途はひとつひとつ違うと思う。その街にあわせてつくっていくからね。ただ、情報や文化の分野に近い拠点にはなるだろうなと思う。
江崎新聞店、静活、静岡オリコミと三社あるうち、江﨑新聞店は総合デリバリー業に変化してきていて、今はもう牛乳やヨーグルトの配達をしている。地域の企業と組んで、お弁当の配達も拡大している。パン・コーヒーの配達で、朝食セットもいい。
配達は一種の定期販売で考えていて、サブスクリプションでお花の配達もしたいね(※現在はお店で受け渡すサービスを実施中)。
静活の強みは施設とコンテンツだけど、江﨑新聞店の強みはやっぱり配達網と地域とのつながりなんだよ。ここを活かしていきたい。紙の販売はインターネットの影響で減っているけど、デリバリー需要は高まってきている。
配達と連動したホームセキュリティ分野は大いにありだね。すでに応急救命資格の保有者がお客様の命を何人も救っているよ。高齢者宅を回って健康チェックや御用聞きをするような、総合デリバリー兼セキュリティ業の展開をしていきたいね。
静岡オリコミはネット展開もしているけど、紙には紙なりの利点があって、興味を引く、関心を持ってもらうところがネットより強い。ネット広告やSNSは注目しないと見逃されちゃう。一方で紙のチラシは必ず目に入っちゃうんだよね。需要喚起として、リアルのチラシはまだまだ強い。この前も地元アイドルのイベントをステージで開催したんだけど、SNSで発信するだけではなく、チラシも配っていたのには、そうした狙いがあるんだね。
うちは三社とも同じメディアの仕事でも地べた寄りっていうかさ、リアルな質感のある事業だから、特性の掛け合わせで新たな事業を展開していきたいね。
すでに麻布と神田に江﨑新聞店の支店を出していて、デリバリーやネット配信もやっているけど、まずは静岡で展開していきたいね。
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