Column
取材班コラム
2024.04.19
「しっかりした文章=長い文章」という勘違い 〜適切な濃さのカルピスを目指す〜
「削れるところは削る」と、過去のコラム(こちら)でも書きました。
というのも、慣れていない方が文章を書くと長くなりという問題があります。
主張がたくさんあって長くなる分には一向にかまいません。まとまらないなら分割して掲載すればいいだけの話ですから。
気になるのは、主張や情報が少ないのに長い文章です。
しっかりした文章=長い文章?
たとえば、以下の文章を読んでみてください。
私たちは、ただ存在するだけでなく、社会にとって欠かせない存在であり続けることを目指しています。その重要性は、ただ単に顧客の要求に応えるだけでなく、彼らの期待を超える価値を提供することにあります。私たちは、社会の変化に柔軟に対応し、持続的な成長を実現するために努力しています。そして、世の中が変化し続ける限り、私たちの使命は不変であり続けるでしょう。
いかがでしょうか。”なんとなく”しっかりした文章に思えませんか。しかし、よくよく読んでみると、一般論ばかりで主張がないことに気づきます。
種明かしをすると、上記の文章はChatGPTに「弊社は世間から必要とされる会社を目指します」を長く、まどろっこしい文章に置換してもらっただけのものです。元の情報はたったの一行分しかありません。
このような文章が生まれるのは、「しっかりした文章=長い文章」という風潮が一人歩きした結果ではないかと私は考えます。
過不足なく情報を届ける
私たちは幼いころから「文章をたくさん書きなさい」と教わってきました。読書感想文は原稿用紙5枚以上書かなければいけなかったし、「300文字以内で書きなさい」と注意書きのある作文問題は280文字以上書かなければバツにされてきました。
だからだと思いますが、短い文章は手を抜いているようで不安になってしまいます。
分量をかさ増しして体裁を整えることが優先され、結果、大量の水で薄められたカルピスのような希薄な文章が生まれます。
しかし、本当に大切なのは「文章をたくさん書くこと」ではありません。求めている人に過不足なく情報をお届けすることです。
たとえば、調味料の成分欄が「本商品はアミノ酸の一種で昆布のうま味成分であるグルタミン酸とカツオに含まれているイノシン酸が豊富に含まれており〜」みたいに長々と書かれていたら、どうでしょうか? きっと「要点だけ、短く伝えてくれ!」と思うはずです。
調味料の成文欄は含まれる成文を素早く把握したい人が読むものですし、小説は気持ちを揺さぶられるために読むものです。
つまり、文章にも適材適所があるということです。
適切な場所に、適切な情報量で、適切な長さの文章を書くことが文章には求められます。
本当に伝えたいことは何か?
誰に読んでもらいたいのか?
この2つをしっかり意識しつつ、適切な濃さのカルピスを目指しましょう。
▼「ターゲットを定める方法」はこちらの記事で確認していただければ幸いです▼